
ロバータ・フラック(Roberta Flack)は
情感あふれる歌声とジャズ、R&B、ポップスを融合させた音楽で
1970年代の音楽シーンを代表するアーティストの一人です。
彼女の代表曲「Killing Me Softly with His Song」や「The First Time Ever I Saw Your Face」は、今なお多くのファンに愛され続けています。
本記事では、彼女の生い立ちからキャリアの
ハイライト、影響を与えた音楽性までを詳しく紹介します。
1. 生い立ちと音楽のルーツ
ロバータ・フラックは、1937年2月10日にアメリカ・ノースカロライナ州ブラックマウンテンで生まれました。幼少期から音楽の才能を発揮し、ピアノを習い始めた彼女は、クラシック音楽に深く影響を受けました。高校生の頃には、ピアニストとしての実力を認められ、音楽奨学金を得てワシントンD.C.のハワード大学に入学。驚くべきことに、彼女はわずか15歳でこの名門大学に進学し、ピアノを専攻しました。
しかし、フラックはクラシック音楽だけでなく、ジャズやR&Bにも興味を持ち始め、次第にシンガーとしての道を模索するようになります。卒業後は学校の教師として働きながら、ワシントンD.C.のクラブで歌うようになり、徐々に音楽界でのキャリアを築いていきました。
2. デビューとブレイクスルー
1968年、フラックはジャズミュージシャンのレス・マッキャン(Les McCann)に才能を見出され
アトランティック・レコードと契約。
翌年にはデビューアルバム『First Take』をリリースしました。
このアルバムに収録されていた
「The First Time Ever I Saw Your Face」は、映画『恐怖の訪問者(Play Misty for Me)』(1971年)に使用されたことをきっかけに注目を浴び
1972年には全米チャートで1位を獲得。
グラミー賞の「最優秀レコード賞」と「最優秀女性ポップ・ボーカル賞」を受賞し、
一躍スターダムにのし上がりました。
3. 「Killing Me Softly with His Song」の大ヒット
1973年には、彼女の代表曲となる「Killing Me Softly with His Song」がリリースされました。この曲は、シンガーソングライターのローリー・リーバーマン(Lori Lieberman)がアメリカのシンガー、ドン・マクリーン(Don McLean)のライブを観た際の感動を元に作られた楽曲でした。フラックのソウルフルな歌声がこの曲に命を吹き込み、見事に全米1位を獲得。翌年のグラミー賞で「最優秀レコード賞」および「最優秀女性ポップ・ボーカル賞」を受賞し、彼女の名声を不動のものとしました。
また、この曲は1996年にローリン・ヒル(Lauryn Hill)が所属するグループ「フージーズ(Fugees)」によってカバーされ、再び世界的にヒットしました。これにより、新世代のファンにもロバータ・フラックの名前が広く知られることとなりました。
4. ドニー・ハサウェイとのデュエット
ロバータ・フラックは、同じくソウルシンガーの**ドニー・ハサウェイ(Donny Hathaway)**と数多くのデュエット曲を発表し、これも彼女のキャリアの重要な部分となっています。特に「Where Is the Love」(1972年)や「The Closer I Get to You」(1978年)は大ヒットを記録しました。
しかし、ハサウェイは1979年に突然の死を迎え、二人のコラボレーションは終焉を迎えます。彼の死後もフラックは彼との思い出を大切にしながら、ソロ活動を続けていきました。
5. 1980年代以降の活動
1980年代に入ると、フラックの音楽はより洗練され、ポップスやR&B色を強めた楽曲が増えました。1983年にはピーボ・ブライソン(Peabo Bryson)とのデュエット曲「Tonight, I Celebrate My Love」がヒットし、バラードシンガーとしての評価をさらに高めました。
その後もフラックはコンスタントにアルバムをリリースし続け、90年代にはジャズアルバムやカバーアルバムなど、幅広い音楽性を展開していきました。
まとめ
ロバータ・フラックは、静かに語りかけるような歌声と
情感豊かな表現力で、世代を超えて愛され続けているアーティストです。
彼女の楽曲は、時代を超えて聴き継がれ、多くの人々に感動を与えています。
彼女の音楽に触れたことがない人も
ぜひ一度「Killing Me Softly with His Song」や
「The First Time Ever I Saw Your Face」を聴いてみてください。